教師一人孤独日記

教師歴18年目に突入。趣味のサウナ、一人旅、仕事で思ったことを書いてみます。

くだらない、ばかばかしいをいう人はかっこ悪い

何かにつけて「くだらない」「ばかばかしい」と吐き捨てて見せる人がいる。

恋愛ドラマを見ながら涙を流している人に対して「くだらない」「ばかばかしい」「こんなことあるわけないじゃん」笑い転げながらバラエティ番組を見ている人に、「くだらん、こんなもん、やらせに決まってるよ」などと横で言い出す。

挙句の果てにサスペンスドラマを見ながら「こんなくだらんものを見るな。こいつが犯人に組まってるだろ。この役者いつも犯人だよ」などと、さもわかったように言う。そういう私もよく家族にこのような(特にサスペンスもの)ことを言ってきた一人である。

このように言う人は、自分がほかの人よりも高尚であるかのように錯覚している傾向がある。

自分は低俗なテレビ番組は見ない。自分が見るのはもっと教養があるものだ。自分は一般大衆よりも上だ。そう思っている。そして、周囲の人と自分とは、知性が違うのだと言いたがる。だが、言うまでもなく、恋愛ドラマを見ている人も、それが現実だと思っているわけではない。バラエティをやらせだとわかった上で見ている人も多い。サスペンスドラマやかつてあった「水戸黄門」も、お決まりのストーリーが楽しめるからこそ、根強い人気を保っていた。それをいちいち「くだらない」「ばかばかしい」とケチをつけるのは、それこそ野暮というものだ。

テレビ番組に関して言うならまだいい。仕事を真面目にしている人を見ては「また、くだらないことしてるねえ」「ばっかみたい」などと言ったり、ときには、「これだから大衆は嫌だねえ」などと言い出す。まるで自分は大衆の一人ではないかのように言う。そしてそのようにケチをつけることは、かっこいいことだと思っている。

物事を斜めから見ることは決して悪いことではない。時には真正面からではなく、別の方向からとらえる必要がある。それが知性というものだ。だが、いちいち物事にケチをつける人は、情緒というものを理解していないだけなのではないだろうか。

世の中には、愚かだとわかった上ですべきことがある。道化になるとわかっていても、しなければならないこともある。自分の中のバカな部分に気が付くことも成長だ。それなのに、何かにつけて「くだらない」とケチをつける人は、人間的にも成長できず、運からも他人からも見放される人にほかならない。